創業明治三十年 川魚料理 あかみず
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創業明治三十年 川魚料理 あかみず
〒847-0022
佐賀県唐津市鏡赤水4763

TEL 0955-77-1802
FAX 0955-77-4033
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あかみずの由来
 「あかみず」は、明治三十年(一八九七年)、赤水観音様から湧き出る「閼加の水」(仏に手向ける水)にちなんで名づけられました。
 閼加の水は古くから母乳の出がよくなる水として伝えられております。当店では、もともと薬用魚として知られる鯉をその水で洗うことにより、臭みが消え食べやすくなると共に、その効用が高まり人々の健康の手助けをしてまいりました。
 唐津では、海の幸が豊富ですが、川の幸の一つに当店の鯉があげられるよう努力し、現在に至っております。
 古く、鯉は急流を登ることが出来、龍になると伝説のもと、出世魚とされております。その意味から祝の席での鯉の丸揚あんかけなども喜ばれております。
 臭みのない当店の鯉をぜひ一度ご賞味下さいませ。
昔は赤水観音様のおっぱいから
水が湧き出ていました
この石に船を繋いだと伝えられています

時を経て今も湧き出る「閼加の水」の源泉
船繋石
 その昔、神功皇后が三韓に兵船をととのえて出兵された時、この石に船をつながれたと言う伝えもあるが、宣化天皇二年(五三七)朝鮮半島に動乱がおき任那(にな)を救うため、勅命により大伴狭手彦(おおともさでひこ)はこの松浦の地に来て外征の準備をした。そのおりに松浦の長者の娘、佐用姫と恋を語う仲となった。やがて外征に向かう狭手彦を鏡山で領布(ひれ)を振って見送った姫は別れのつらさに耐えきれず後を追い、呼子の浦の加部島に辿りつき遂に石になったと言う。

海原の沖行く船をかえれとか ひれふらしけんまつら佐用姫 

 佐用姫の死を知った狭手彦は、この地に立寄り堂を建て金銅観音菩薩を安置して姫の菩提を弔った。当時この辺は海岸で、この石に船を繋いだと伝えられ狭手彦持参の観音像を祀る赤水観音堂はすぐ真上にあり四六時こんこんと真水が湧き出るので閼伽水(佛前に供える浄水)の出る地として赤水と呼ぶようになった。観音像は室町期の永和元年(一三七五)僧、宗祐(そうゆう)により恵日寺と言う寺院に遷され秘佛として現在の恵日寺に祀られている。以来この石は湧き出る清水とともに佐用姫物語ゆかりの遺跡として祭られて来た。

行く船を振り留めかね如何ばかり 恋しくあしけむ松浦佐用
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